こんばんわ
萌えログ管理人のらすくです。
今回は前回に引き続きギャルゲーの歴史の、1991年~2000年の期間の記事になります。
この頃はギャルゲーが注目され始め、同時に変化が激しい時期になります。
また、同時に一番熱い時期になります。
第2話 ギャルゲーの歴史 黎明期~全盛期(1991年~2000年)★今回はこの記事
参考記事:
1991年~1993年黎明期
1991年にはアニメで人気であった「魔物ハンター妖子」がメガドライブで発売され、同年の5月にはPC-9801で「プリンセスメーカー」と言ういわゆる元祖育成シミュレーションが誕生した頃かと思います。
1992年には「卒業 〜Graduation〜」が発売され、エロゲー業界では「同級生」の誕生で一気にエロゲーの認知度が高まった時期かと思います。
中でもとりわけ一番熱いハードはPCエンジンだったかと思います。
PCエンジンでは前述の「魔物ハンター妖子」「プリンセスメーカー」「卒業 〜Graduation〜」「同級生」の移植は勿論のこと、1992年には後にギャルゲーとしてカテゴライズされることとなる「銀河お嬢様伝説ユナ」が発売されます。
銀河お嬢様伝説ユナ
この当時としては珍しい登場人物全員女性で、百合要素満載でまさに教科書的なギャルゲーとしては元祖と言っても過言ではない作品となっておりました。
3年後の1995年には本作品の続編である「銀河お嬢様伝説ユナ2 永遠のプリンセス」が発売されますが、当時の萌えキャラクターとしてはかなりのレベルの高いイラストで多くの人を惹きつけました。
しかしながら開発の現場は実は大変で、レッドカンパニーから提出された企画書をハドソンは承認するものの、当時としてはかなりニッチな層をターゲットにした企画であったため、1000万ほどの極めて低予算の中での開発を余儀なくされておりました。
これまではヒロインと言えば「可愛い」「か弱い」「頭良い」「強い」が一般的な時代であり、その傾向にうんざりしていたハドソンの当時のディレクターがシリアスからギャグ路線に変更した経緯がありますが、これは良き判断だったかと思います。
初代作品は少数生産だったものの、当時徐々に人気が出始めていたギャルゲー作品であったこともあり即完売し、プレミア価格になったこともあり1995年の2作品目の時期に再販された経緯があります。
当時キャラクターデザインをしていた明貴美加氏は少女漫画並みの大きな瞳に、セクシーなイラストで男性のみならず女性からの人気があり、萌えブーム以前からかわいらしい少女を描いておりました。
当初は女子高生メカデザイナーとしてお嬢様作家として名乗っておりましたが、ラジオ放送で超低音ボイスを突っ込まれ早々の女性キャラクターを辞めたと言う逸話があります笑
ちなみに今はデート・ア・ライブといったアニメのメカニックデザイナーを手掛けられてますね。
ときめきメモリアル
1994年5月にギャルゲーと言う確固たる地位を獲得したときめきメモリアルがPCエンジンで発売されます。
これまでポツポツと登場していた「恋愛シミュレーション」や「恋愛アドベンチャーゲーム」ですが、まだまだ定着しておりませんでしたが、ときめきメモリアルの登場で一気にジャンルとして一般化したかと思います。
これまでアダルトゲームを含むギャルゲーは世間からは軽視されていた時代であったため、発売前の評判は決して高いものでは無かったのですが、電撃PCエンジンを始めとしたPCエンジンの雑誌では高い評価を得ていました。
コナミ自身もあまり重視していなかったため生産量が少なかったことに加えて、流通の不備で生産数が少なかったのですが、爆発的な人気で売り切れが続出し、銀河お嬢様伝説ユナ同様にプレミアム価格が付くこともあり、第4版まで再販され、1996年までに110万本という当時のギャルゲーとしては驚異の数値を叩き出すこととなりました。
ゲームシステムは高校生活を舞台とし、1週間の主人公の行動を決め、「勉強」「スポーツ」「部活動」などに取り組むことで主人公の能力を高め、憧れのヒロインである藤崎詩織の理想に近付け、デートを重ねて親しくなることで卒業式の日に伝説の樹の下で彼女からの告白を受けることが目的になります。
まさに恋愛ゲームのベースとも言える作品だったかと思います。
多くのヒロインが登場しますが、中でもとりわけ藤崎詩織は攻略に困難を極め、ラスボスと称されるほどでした。
尚、本作は他のハードにも多数移植されており、セガサターンでは女の子から告白されるのではなく、自分から告白するシーンも存在しておりました。
最近ではガールズ版のときめきメモリアルも出ているかと思います。
1994年~2000年全盛期
ときめきメモリアルを皮切りにこの頃はギャルゲー時代の幕開けとなります。
これまでギャルゲー相当の作品はPCエンジンでしたが、ハードの舞台はPCエンジンからPlayStationやセガサターンに切り替わっていった時代かと思います。
勿論PCエンジンでも同級生の移植であったり、女神天国という今で言うお色気作品などエロゲーに近しい路線で攻めていたかと思います。
PlayStationでは当時ハードを売るためにソフトの審査をかなりゆるくしていて、ソフトメーカーの参入の敷居が低かったこともあり、良くも悪くもギャルゲーが多く量産されることとなります。
ときめきメモリアルも移植され、格闘ゲームのあすか120%がPCから移植されたり、アドバンドヴァリアブル・ジオも移植されておりましたね。
1995年にはウィザーズハーモニーと言う剣と魔法のファンタジーを舞台にしたアドベンチャーゲーム+育成シミュレーション(そだベンチャー)が登場し、本メーカーは後にエターナルメロディや悠久幻想曲シリーズを生み出していきますね。
セガサターンも負けじとPCからの移植で、かなりギリギリを攻めたR指定でエロゲー作品を多数発売したかと思います。
1996年にはトゥルー・ラブストーリー、NOeL、1997年には後にシリーズ化するアトリエシリーズの初代「マリーのアトリエ」、その他にもゲームハードの時計と連動してリアルの実生活を描いたルームメイト、1998年にはセンチメンタルグラフィティややるドラシリーズの初代「ダブルキャスト」が発売し、まさに黄金期の時代出会ったかと思います。
ルームメイトは当時ファミ通の女性レビュアーが、これをリアルタイムでプレイする人はどうかと思う的な辛辣なコメントを残していましたよね笑
サクラ大戦
1996年9月に「サクラ大戦」という10話構成のアニメを彷彿させる作りの、アドベンチャー+戦略シミュレーションのゲームが発売されます。
CVも横山智佐さんや田中真弓さんと言った豪華な声優陣を採用しており、萌えアニメが人気を高める最中、かなり話題になったかと思います。
限定版も当時8万ぐらいの値段が付くほどプレミアとして価値が上がっておりました。
制作スタッフも豪華で「魔神英雄伝ワタル」で有名な広井王子氏がゲームデザインをし、「ああっ女神さまっ」で有名な藤島康介氏がキャラクターデザインをし、メカニックデザイナーには「銀河お嬢様伝説ユナ」の制作に携わった明貴美加氏も参画し、脚本には「NG騎士ラムネ&40」で有名なあかほりさとる氏が担当すると言った、これ以上に無いほどの豪華メンバーで構成されておりました。
まさに「ぼくのかんがえたとはさいきょうのめんばー」状態ですね。
その結果、サクラ大戦はギャルゲー業界の中でも一歩先行く存在となりました。
その後、サクラ大戦は多くのナンバリング作品の続編を出し、派生作品としてパズルゲームやオンラインゲーム、アニメ化や歌謡ショウ、ラジオドラマ、ドラマCD、小説・漫画、ミュージカルと言った数多くの作品を世に創出しました。
ちなみに本作の舞台は「大正」であったのですが、シリーズが長期化したこともあり、元号が改元されずに大正16年という架空の年号になりましたね笑
全盛期終盤
この頃になるとエロゲー業界でも変化が発生し、今まで「エロ」を主軸としていた所が、徐々にシナリオ(感動モノ)の作品であるKANONやAIRが登場し始めます。
「エロゲー」と「ギャルゲー」を混同すると怒られる時期になりますね。
エロゲーのことをギャルゲーとして括ると、「それはエロゲーだ!」と怒られる時期はこの頃からだったと思います。
ちなみにKANONやAIRもエロゲーの括りにすると怒られる時期だったかと思います。
またこれまでPCエンジン向けの雑誌を展開していた電撃PCエンジンも、1996年には電撃G's magazineに改題し、加えてハードを問わず主として家庭用ゲーム機向けのギャルゲーの情報を中心に取り扱うようになり、まさにギャルゲー黄金期でした。
しかし1996年頃のギャルゲーブームに乗っかる形で良くも悪くも多くのギャルゲーが登場し、同時に質の悪いギャルゲーも多数登場し、また育成ゲームの煩わしさから、1999年後半から徐々に陰りが見え始める時期に差し掛かります。
如何でしたでしょうか?
この頃はまさにギャルゲー黄金期と言っても過言では無い時期だったかと思います。
月に数本は必ずギャルゲーが存在しており、ギャルゲーが一つのジャンルとして確立していた時期になります。
またこの時代のギャルゲーは育成シミュレーション(育成SLG)と言うジャンルが一般的だったかと思います。
次回は陰りが見え始めた衰退期~過渡期についてお話したいと思います。
ご清覧ありがとうございました。
第2話 ギャルゲーの歴史 黎明期~全盛期(1991年~2000年)