最古のアダルトゲームは?
最も最古なアダルトゲームと言えば何かと聞かれると正直難しい側面があります。
今のアダルトゲームはきちんとしたストーリー性があるものが一般的ですが、テキストだけで小説みたいなソフトもアダルトゲームとして定義するのかが難しいからです。
それも踏まえた上で、創世記に生まれたアダルトゲームをいくつか紹介していこうと思います。
Softporn Adventure
1981年に海外で発売されたテキストベースのアドベンチャーゲームのソフトポルノアドベンチャーです。
元々はフリーのプログラマーが作成したプログラムを、シエラオンラインに持ち込んで商品化されたものとなります。
どこも相手にされていなかった本作品ですが、シエラオンラインは当時開発していたアドベンチャーゲームの「タイムゾーン」のプロジェクトに行き詰っていたこともあり、その穴を埋めるべく採用され、商品化されたのがきっかけです。
ゲームとしては絵は一切なく、独身の主人公が三人の女性を口説いて性交渉に持ち込む内容です。
性病に掛からないためにコンドーム買ったり、ある程度想像力を掻き立てないとゲームが進まない作りになっておりました。
ちなみにこの作品の広告写真を撮影するために、3人の女性をトップレスにしたのですが、その3人は同社の会計士、社員の妻、このソフトを採用したケン氏の妻というトリビアがあります。
野球拳
一方日本ではボンバーマンや桃太郎電鉄で有名なハドソンが、1981年に野球拳というアダルトゲームを発売しました。
ちなみに同名タイトルで1982年にツクモが発売した野球拳や、同年パソコンショップ高知が発売したロリータ野球拳とは異なります。
タイトルの通り野球拳で勝ったらヒロインである「めぐみちゃん」の服を脱がしていきます。
服が脱げていくたびに羞恥心を露にした表情になりつつ、体も赤くなっていきます。
グラフィック機能を持たないMZ-80k(80x50ドット解像度)として開発されいるため、イラストは正確にはアスキーアートによって構成されています。
当時パソコンが50万もするような時代、このソフトにどれだけの人が魅了され、購入したのかは筆者は分かりかねますが、恐らくはこれが最古のアダルトゲームだと思っています。
そう、思っています・・・
一般的に言われてはいないです。(理由は後述)
ナイトライフ
1982年4月に光栄マイコンシステムが発売したナイトライフ、こちらが一般的にはアダルトゲームの元祖と言われています。
PC-8801版のカセットテープ媒体の時代ですね。
様々な書籍でも元祖として紹介されることがあります。
ゲーム内容は夜の夫婦生活をサポートするための「ユーティリティソフト」という位置づけで、安全日の計算や最適な成功体位の算出とか、射精に至るまでの時間や体位を記録する機能などなど、ゲームとはちょっと違いますね。。。
「超エロゲー」の筆者・多根氏は「ベッドの横にパソコンを置き、指示されるメニューを淡々とこなすダンナサマを、オクサマはどんな目で見るんでしょうか。」とコメントしているので、ゲームとしてはやや疑問符ではありますね
とまぁ、この3タイトルがアダルトゲームの駆け出しでは無いかと思っています。
どんなメーカーが参入してきた?
ナイトライフ発売後、多くのメーカーがアダルトゲームにビジネスチャンスを感じて、次々と追従していきます。
先に説明した光栄マイコンシステムやハドソン以外にも、九十九電機、PSK、CSK、エニックス(現スクウェア・エニックス)、ポニカ(現ポニーキャニオン)、アスキーと今となってはコンシューマーもしくは全く別ジャンルで活躍する会社ばかりですね。
あのスクエニも当時、ロリータシンドロームと言うロリ系のアダルトゲームを出していたのですから驚きです。
1970年後半から丁度ロリータがブームになっていたので、スクエニ以外にも多くのメーカーがロリータ作品を出していましたね。
そして1985年にJASTが「天使たちの午後」を発売します。
恐らくこの作品が現在の美少女ゲームの始祖に当たるのではないかと思います。
JASTはその後始まるアダルトゲーム黎明期に、数々のメーカーに揉まれ2001年に倒産してしまいますが、美少女ゲームの始祖だと思っています。
1980年後半になってくるとアリスソフトのブランドを持つチャンピオンソフトや、有限会社きらら(現F&C)、同級生などで後に一時代を築くエルフが登場してきています。
この3社が1989年に時代を変える3作品を発売します。
ランス ~光をもとめて~
(※画面はWin95版)
2018年に「Rance X -決戦-」が発売されてランス自体は知っている方は多いと思いますが、ランスの初代は1989年7月に発売されていたのです。
同時にアリスソフトのデビュー作品となりますが、30年近くの長寿タイトルになるとはこの当時誰が予想したでしょうか・・・
ジャンルはロールプレイングですが、アドベンチャー要素の方が強かったようですね。
ちなみに初期出荷数は600本ぐらいだったそうです。
きゃんきゃんバニー
「きゃる~ん」という口癖で、後の看板タイトルになるカクテルソフトのデビュー作、きゃんきゃんバニーです。
1989年8月に発売されています。
好美昭博氏の原画や情報誌の宣伝効果もあって、デビュー作にも関わらず大人気だったそうです。
一応好感度アップのアイテムを購入することは出来るのですが、本作品の女性は大変股が緩かったようでして、簡単に女の子の部屋に乗り込むことが出来てしまう中々無茶ストーリーでした。
ドラゴンナイト
そして、後に一時代を築くこととなるエルフが1989年11月にドラゴンナイトを発売します。
ウィザードリィ風のゲーム性で諸説ではエロゲー初の10万本超えはドラゴンナイトと言われています。
PCエンジンにも移植されているので、割と知っている人も多いのでは無いでしょうか。
1980年代はエロゲーは一般PCゲーマーからはあまり良い目では見られてはいなかったのですが、このドラゴンナイトの登場でエロゲーが認められ始めたきっかけになったと思います。
時代を切り開いた瞬間ですね。
この当時どんな時代だった?
初期のテキストベースはさておき当時のアダルトゲームは、ストーリー性は当然のことながら今と比べるとかなり見劣りするものというか、やはりアダルトゲームなので「ナンパ」や「欲求に対して直球」な作品がベースになります。
しかし、グラフィックは実はかなりの職人技術が要求される世界でした。
今でこそ1677万7216色やフルHD、4Kという幅広い画面サイズと多くの色数を再現することができますが、当時は8色という限られた色の数で戦いをしなければなりませんでした。
8色ですよ?8色
どうやって肌色とか表現するの?って疑問に思いますよね?
しかし、ここは職人の腕の見せ所です。
肌色は「白」「黄」「白」「黄」または「白」「赤」「黄」「白」「赤」「黄」を交互に1ドットずつ並べて肌色を再現します。
影を再現する時は「赤」の割合を増やし、日光が当たる部分は「白」の割合を増やします。
褐色肌は影に近い技術を用いて、色白の肌は日の当たる部分の技術を用いたりします。
近年でもドット絵は見直され、とてもクオリティの高い作品を生み出す職人はいますが、やはり当時のドット絵職人は凄みが違うと思っています。
そしてこの時代の性的描写は共通ガイドラインとなるソフ倫は存在しておらず、そもそもアダルトゲーム自体、特殊な再生媒体として、ほぼ無視もしくは無名の状態であったため、各メーカーの裁量に任されており、モザイク処理が無い作品またはコマンドで見れる状態のあるゲームが多数存在しました。
しかし1986年に刑法117条の強姦罪からタイトルを取った「177」という作品が国会で取り上げられたり、1988年に埼玉連続幼女誘拐殺人事件などで、端を発した有害コミック騒動によって徐々に業界への批判が増し始めました。
そして後に歴史を残す事件、沙織事件が起こり、アダルトゲーム業界に大きな衝撃を与えた黎明期については次回の記事で紹介します。
さて、今回はアダルトゲームの歴史の創世記(1981~1999年)について紹介させて頂きました。
次回予告
業界騒然!沙織事件の勃発と東のエルフ、西のアリスによるアダルトゲーム大ブームの黎明期(1991~1999年)について紹介させて頂ければと思います。
ご清覧ありがとうございました。